あまりパソコンに詳しくないもので、メールの取得やら何やらで
手をつけるのがおっくうなこともあり、やっとやっと再開したのでした

タイトルでもあるあの日から私の生活は一変しました。
当時私は福島市に住んでいました。
幸いにも我が家は地盤が固いのか、新築だったためか家の中のものはたいして落ちたり
壊れたりはありませんでしたが、周囲ではレンガが落ちてたり塀が崩れていたり、
マンホールが突出していたり、一体何があったのかと信じられない位でした。
上の息子二人は下校近い時間だったようで、走って迎えに行った時には集団下校で
帰ってくるところでした。
午前中はあんなにお天気が良かったのに、地震後間もなく急に寒くなり雪も降り出し、
信号も止まったのでクラクションを鳴らす音、パトカーや救急車のサイレンが鳴り響き、異様な光景だったのを覚えています・・・
三男を主人がすぐ保育園へ迎えに行ってくれたためすぐ家族5人揃い一安心しましたが、
家の電気がつかない、外も真っ暗な中、携帯のテレビで今何が起こっているのかを知ることができました。
東北三県の沿岸部が大変なことになっている!
ニュースでは日本地図の東北三県を中心に赤いラインが点滅して映っている。一部の津波情報も知り
我が県でも恐ろしい事態が起こっているのだと夜になってわかったのでした。
私の実家は福島県浜通りです。。
実家は海から離れているけれど、私の祖父母宅やお墓は海のほうにあります。
まさか、ばあちゃん家も!?
実母の安否もわからない。。。
何度も何度も携帯から母の携帯にかけるけど全然繋がらない。
余計に焦る。。。
でも、うまく電波が通じたのかかかり、母は無事、親戚も無事だということを知り
安堵しました。
電気がないと本当に世の中真っ暗なのです。
石油ストーブがあったので、それで暖を取れたしうっすらと明りがあり心強いですね。
また、お湯も作れたので食事も取れました。
懐中電灯の調子が悪くて、ロウソクもあまりなかったので
次の日も使えるように早めに消して寝るようにしました。
また地震が来るかもしれないと、居間に布団を敷いて服のまま全員固まって寝ました。
でも、もちろん眠れるはずもなく・・・
沿岸部ではどうなっているのか気が気でなくて
深夜に車に乗り、エンジンをかけてテレビを見ていました。
まさか、こんなことが起きようとは・・・
一生忘れることのできない東日本大震災。
それぞれいた場所で経験したことは違うけれど
地震の恐ろしさ、津波の恐怖、
家族の絆、備蓄の必要性、情報の確保、
いろいろ心に感じる事がありました。
あれから1年半が経ちました。
そしてこの経験から今日に至るまで
たくさんの出来事もありました。
少しずつ、あの時からの我が家について
載せていけたらな、と思う・・・
できるなら、自分が味わったことや感じたことを
ここに記し、残していきたい・・・
自分が忘れない為にも・・・